英音学語-EIONGAKUGO-

英語と音楽のアソート

同性に痴漢されたときの心境

ガタンゴトン電車に乗っていると遭遇することもあるかもしれない痴漢

(Hey)

 

 

まさか同性にケツを触られるとは思わなかったあの日

(Yo)

 

 

あまりにもソフトなそのタッチに逆に動

(Yo)

 

 

あれは一体なんだったのかいまだに解決しない問

(Die)

 

 

まさかの展開に頭が混

(Run)

 

 

 やりたいことだけで世の中やっていけねぇ

(Yo)

 

 

世の中広いんだから他のことに目を向けろ

(Yo)

 

 

ケツの穴で未来は見通せねぇ

(Yo)

 

 

 

 

同性が好きならちゃんと口説け

(Yo)

 

 

、、、

 

 

くれぐれも他人のケツに容易に触れるのはやめろ

(Yo)

 

 

 

 

だからどうした症候群という病

私は時おり変な病にかかる。レモンを絞ってふいに衣服に果汁がかかるくらいの確率でそれは起こる。入ったあとは抜け出せるまでしばらく嘘だろ、と思いつつ黙りこむことしかできなくなる。あまりに不定期で原因が解明されない病、そう、それは、だからどうしたとしか思えない病である。

 

 

 

 

ありとあらゆることを、だからどうしたとしか思えなくなる病である。

 

 

 

今現在の私に大富豪がプロポーズしてきたところで全くなびかない。だからどうしたで済ますことができる。

 

寿司は通常ならかなり好きなはずだが、今の私ならそうでもない。食べたところでだからどうしたで済ますことができる。

 

友人がセクシーでちょっとアブナイ映像作品に出ていても、ああちょっと若気が至ったんだ?あっそ、だからどうしたで済ますことができる。

 

実はキミ、宇宙人デシター!今まで黙っててゴメンネー!アハ!と誰かに言われても、ふーん、だからどうしたで済ますことができる。

 

 

 

つまりはちょっと、病んでいる。

私は感情をどこに置いてきたのか。

 ついでにこの文章も、だからどうしたと思ってしまう。

 

 

Give me感情、、

 

とか言いつつ明日からブラジルのダンサー並みにハイテンションになっていたらどうしよう、と怯えてもいる。

 

 

 

 

 

4月4日のにっき

順調に語彙力がなくなっていく今日この頃。冴えた頭にはなれそうにもない。そしてついでにワクワクもしない。静かにそよ風を眺める生活を繰り返している。昨年上旬のあの情熱的な衝動は一体何だったのだろうか。この1年で好奇心寿命が10年ほど一気に縮んだような気分である。その頃書きためた文章も血迷ったのか消してしまった。書きたいことも見出だせないこんな世の中じゃ、、ポイズン、ではなくわたしがいきているいみがなくなってまう。人生の終末期、、いやそんなバカな、、、私はまだtwenty-threeなのだよ。もっと頑張ってくれよ。と、我ながら健闘を祈りたくなる気分である。

 

 

 

昨年のあのキラキラとパッションは一体どこに行った。まるで湖畔に反射した日差しのように眩しくて清々しかったあのフレッシュな感覚をもう一度、、

 

探しださなければいけないのである。

私はこんな自分は嫌いである。面白い文章でワクワクしていない自分は嫌いである。

 

 

それともあれなのか、、twoとthreeにはそんなに差があったのか、、、これがtwoとthreeの境界線の凄さなのか。そうかこれが人生なのか、、

、、

 

 

 

いや私はここで諦めたりはしないのである。

 

 

 

 

3月29日のにっき

サクラ咲いてる。ちょっとハチミツ垂らして食べてみたい。ううん、バカ。私は知的に生きるの。そうよ、これからは知識で満タンなベリーエクストラクールな女で行くの。そう、クレバーに。...この文面がバカっぽすぎてうーん、前途多難だな、おい。という突っ込みをぜひ、私にくれ。欲しい。是非とも欲しい。

 

 

 

さてと、春ってやっぱ頭おかしくなるね。もうずーっと笑ってるもん。箸が転ぶ前からけらけら笑ってるもん。天気がパヤパヤしてると心がポヤンとするんですよ。んもう、皆さん気づいてますか。春の妖気を。

 

でもそろそろ真面目に勉強しなきゃいけない。色んなことを。この世の核心を。ああでも春のにほひが.....においが.........嗅がせろォォォオオオオ(・ェ・`U)フガフガ!!!!!ってなってしまう。人間ってほんと、やさしい方に流れていってしまうんですね...ああもう哀れです。3月はもうアーメン周期ですね。私のなかでは。

 

 

 

とりあえずまともだったあの頃に戻りたいです。

 

 

 

 

 

3月16日のにっき

やだもっ、前回の更新から2週間も経ってるじゃないの、とぽつり夜景がみえる窓辺でグラスカクテル片手に呟いている女でいたい私、え、あー、ツジョン、いや、ただのホモサピエンスが綴るてきとうなにっきのはじまりです。でした。

 

 

 

やっとスムーズな改行の術をマスターした、(いや、大分前からマスターしてたけど報告遅れたごめん)私でございますよ。ほほ。

 

 

 

最近の近況はね、というかここ数週間ちょっと怪奇な現象に見舞われて見えないはずのものが見えたりしてちょっとなんかこの世って思ったより広いんだなって温泉ちゃぽーんって浸かったときの水の振動みたいなそんな感覚を感じちゃったりしているところかな。

 

 

宇宙って無限に広がっているんだね、、、、っていうこの感覚をフォー・ユーしたいそんな感じ。

 

 

いつにも増してキモいけど気にしないで( ^∀^)ウハン

 

なんかこう、久々にタイタニックが観たい、そんな感じ。

 

 

ちょ、春だから頭おかしくなってるわけじゃ、、ないよ、( ^∀^)マタネ

 

 

 

 

 

 

 

生きるとは個人と他人の欲の犠牲になること

今週のお題「ひな祭り」

 

私は、欲がすべての物事の諸悪の根元だと思っている。我が身をおおげさに認め、称賛し、周りとは違い崇高な存在と思いたいがために色んなものが今なお世界中で犠牲になっている。

 

身近なところで言えばお金、キャリア、恋愛、すべて人より上でいたいがために他人を引きずり下ろし、自分より下と勝手に判断した者を馬鹿にし、一体人間は何をやっているのだろうか。

 

 

歴史を遡れば人類は同じことを繰り返していることに気づく。

 

侵略と迫害を繰り返し、共存なんてちっとも考えていない。中世ヨーロッパに魔女狩りという制度があったが、かたちを変えただけで今も人間関係は一緒である。真実なんてどうでもよく、気に入らないやつに濡れ衣を着せ、処刑する。学生のいじめ問題なんてまさにそれである。そしてもちろん大人の世界にも存在する。それに疲れ果てた者はこの世をフェードアウトする。私もその口だが、家族に恵まれたためアウトするにもアウトできないでいる。まぁ、その家族のなかに汚さを時折発見することもあるのだが。

 

私の中での一番の欲は、何かを書いて残す欲である。最早書くことでマーキングしているかのごとく、私にとって根源的な欲である。もちろん普段から難しいことばかり考えている訳ではないが、人生を真面目に考えていると悟りたくなるのである。

 

豊かな自然と素敵な空気、そのなかで何も考えずに死ぬまで生息していた方がよほど崇高な気がしてならない。

今まであーだこうだ偉そうなことを言っているが、私も人並みに欲があり、春の新作コスメを目にいれたときの高揚感は何物にも変えがたい。あの色にあのデザイン、たまらない。笑みがこぼれ、顔がふやけそうだ。

 

なのだがたいていの欲からはいい結果は生まれない。素晴らしいのは、人助けしたい欲、人を楽しませる欲くらいではないだろうか。

私は人より全体をみて、遠くの事を考えている。身近ないさかいには耐えられない。弱いのである。

 

生きている間にもっと悟りたい。生きるとは内面を磨くことだ。精神的な孤独は人を成長させる。

 

明日はひな祭りなのに、こんな晴れやかとは程遠い事を考える人生も、悪くはないと思いたい。

 

うことで明日は手巻き寿司を食らう。ん、人間とは矛盾しているものである。

 

 

 

私は何故侵入されることを嫌うのか

今週のお題「ねこ」

最初に言っておくがホームセキュリティの話ではない。これは目に見えない心の話である。

 

私は人に対する心の壁が厚い。表面上はそうでもないが、それはあくまで社交術として携えているだけで心はなかなか開かない。開いたとしても下敷き一枚がスライディングして入るくらいのスペースしか開かない。

 

それはなぜか。冷たいと思われるかもしれない?人の心を持っていない?それで生きていける?、、とにかくそういうのとは真逆である。

 

 

 

警戒心が強くなるのに理由がない人もいるだろうが、私はここに至るまでさまざまな現象と遭遇した。それを踏まえて思うことは、人間の本質は利己的で残酷だということ。

 

相手を傷つけ弄んでもなんとも思わない。自己保身のためにはいくらでも傲慢になれる。そのため神経をすり減らし、私は善良な人間まで遠ざけてしまう。それでいて少しでも相手に人間らしい部分があると、幻滅してしまうのである。これは過度の防衛反応からくる立派な弊害である。馬鹿馬鹿しいと思っているが、やめられない。

 

ついでに言うが、人生というのは無意味な割には苦しいのである。人間はストレスに弱く、些細なことで追い込まれる。人の気を吸って生きているようなタイプは除外するが。

 

私には子を産み出す親が悪魔に見える。さ、この世でさんざん泥をすすれ、と言われているような、そんな感じである。彼らは我が子が侵入者にたいして怯えていることに、気づいているのだろうか。私の親はそこまで薄情じゃないが、社会は待ってはくれない。こんな思いまでして、残るのは死というよくわからない現象のみ。そして侵入はつづく。

 

侵入された者は、振り回される。振り回され続けて、干し柿のように干からびる。私は柿のままでいたいから、侵入を拒むのだ。

 

 

、、何て言いつつ、我が家のガラス窓を小さな手で壁ドン踏み踏みしてきた子猫の侵入は許すという矛盾は、まさに人間らしい。