私はこういう風に思うYo。人間に生まれ落ちた時点で人間失格だと。
この言葉は太宰治が「僕はなんてダメな人間なんだうわぁ~~~~」という風な感じで書いた小説のタイトルとして有名だが、彼や彼に似た人間だけが失格というわけではなく、人間という時点で人間失格だと私は考えている。
人に悪意を持たれた時に、人間の無垢な悪意に嫌悪感が走る。傷つくよりも、嫌悪感が。
また、そういった人を真っ当な人間に更生させたいと思う私の考えも、これまた、人間らしく自分勝手で汚くて人間をやめてしまいたくなる。
そもそも人間合格者だらけなら、世界中こんなにいさかいあっていない。技術は進化しているが、人間の精神は未だ進化を研げていない。そりゃ、少しは進化を研げていると思いたいが。進化を研げているなら、この世は地上の楽園となっているはずなのだ。それとも、私は地上に希望を見いだしすぎているのだろうか。
とにかく、この世にいる人間が人のことを思いやれる人間だけなら、誰一人苦労はしないはずだ。
いや君、どれだけ人間関係に恵まれてないの?
と言われそうだが、勿論真っ当な人間にも沢山接してきたが、いかんせん人間は嫌な記憶の方が強烈に覚えている損な頭のつくりをしている。
自分が誰かにやられたように周りにも振る舞えば傷も癒える(正に負の連鎖)のだろうが、それをやるには心が潔癖すぎて無理だ。
汚れてしまえば楽だが、汚れられないジレンマ。汚れた自分を甘く見れないし、楽な方に行きたくないという、修行体質が災いしている。
それに、本当にきれいな人間なら、他人の悪意なんてどこ吹く風、とスルーをしているはずだ。
そう、私は中途半端にきれいなのだ。
中途半端に汚れてもいる。
もっときれいになりたい。
因みに太宰治は読んだことがないYo