メランコリーⅠ型

まとまりのない人

私は何故侵入されることを嫌うのか

今週のお題「ねこ」

最初に言っておくがホームセキュリティの話ではない。これは目に見えない心の話である。

 

私は人に対する心の壁が厚い。表面上はそうでもないが、それはあくまで社交術として携えているだけで心はなかなか開かない。開いたとしても下敷き一枚がスライディングして入るくらいのスペースしか開かない。

 

それはなぜか。冷たいと思われるかもしれない?人の心を持っていない?それで生きていける?、、とにかくそういうのとは真逆である。

 

 

 

警戒心が強くなるのに理由がない人もいるだろうが、私はここに至るまでさまざまな現象と遭遇した。それを踏まえて思うことは、人間の本質は利己的で残酷だということ。

 

相手を傷つけ弄んでもなんとも思わない。自己保身のためにはいくらでも傲慢になれる。そのため神経をすり減らし、私は善良な人間まで遠ざけてしまう。それでいて少しでも相手に人間らしい部分があると、幻滅してしまうのである。これは過度の防衛反応からくる立派な弊害である。馬鹿馬鹿しいと思っているが、やめられない。

 

ついでに言うが、人生というのは無意味な割には苦しいのである。人間はストレスに弱く、些細なことで追い込まれる。人の気を吸って生きているようなタイプは除外するが。

 

私には子を産み出す親が悪魔に見える。さ、この世でさんざん泥をすすれ、と言われているような、そんな感じである。彼らは我が子が侵入者にたいして怯えていることに、気づいているのだろうか。私の親はそこまで薄情じゃないが、社会は待ってはくれない。こんな思いまでして、残るのは死というよくわからない現象のみ。そして侵入はつづく。

 

侵入された者は、振り回される。振り回され続けて、干し柿のように干からびる。私は柿のままでいたいから、侵入を拒むのだ。

 

 

、、何て言いつつ、我が家のガラス窓を小さな手で壁ドン踏み踏みしてきた子猫の侵入は許すという矛盾は、まさに人間らしい。